スイス アルプスの旅


本場アルプスでキャンプをやってみよう!


田中 慎二






金曜日(4日目))

深夜未明、暴走族がうなりをあげてキャンプ場に来ていたが、起きると4m程離れたところに陣取っていた。900cc前後の改造したオ−トバイに見入っていると、彼らが話しかけてきた。「何ジロジロ見てんだ、ジャップ!。 ヤマハはジャパンだろ?メズラシイのか?」。 話しかけてきたのではなく、からんできたのである。 "欧米の暴走族はキレているのが多い"と聞いていたので英語が分からないジェッスチャ−をして逃げた。(イレズミをした太い腕の兄ちゃんに英語でからまれると、本当にこわいぞ〜!) オ−トバイを見ているときにオランダ人が目で何かを伝えようとしていたのが、今になって理解できた。

逃げたついでに、1時間ほど散歩したあとビクビクしながらテントに戻りピクニックの準備をすませ、キャンプ場を出発する。

昨日のグルント駅から少し歩くとメンリッヒェンへのゴンドラ乗り場がある(標高942m)。

帰りはキャンプ場までハイキングするので片道切符を購入の予定である。 切符売り場のおばちゃんは、スキ−シ−ズンでないこともあり、英語がまるで話せない。「One way」は身振り手振りで通じたが「and picnic ,have a lunchtime, go back to campground ,walking , walking, walking,…・・」は当方の英語が悪いのか、日本人がキャンプすることが信じられないのか、歩いて降りてくるのが信じられないのか、全く通じない。

おばちゃんは「帰りはなぜゴンドラに乗らないのか、他の人はみんな乗って降りてくるぞ」(と言っているのだろう)。そのような雰囲気でイライラ状態。私もついに絵を描いて説明することになった。絵は世界の共通文字である。切符売り場は他に人もおらず、十分時間を費やした結果、理解できたおばちゃんも納得して片道切符を販売してくれた。

赤色のゴンドラに乗り込み出発。ゴンドラから村を見下ろすと、グリンデルワルトの中心とキャンプ場の位置関係が初めてわかった。なんと私が選んだキャンプ場は、岩壁の直下で落石があっても文句の言いようがないところだった。また、岩壁の上方はクライマ−がつり下がっているような形をしていた。(私には凍死しているように見えた)

ゴンドラに乗ること約30分、上空をジェット戦闘機が通過するのを眺めたり、帰りの散歩コ−スを見たりして終点のメンリッヒェン着。(標高2222m)右には小高い山、左はクライネシャイディック駅の方へ通じている。駅からは、集団がこちらに向かって歩いてくるではないか。ここいらあたりに、ちらほらと居る観光客は右の山の方へ歩いている。「どうやら、メインの散歩コ−スであるようだな。」と理解した私も、彼らに混じって小高い山を目指す。途中にグリンデルワルトと反対の谷(ウェンゲン)へ降りるロ−プウェ−乗降場(ベルグ駅)があったが、降りている人は殆どいない。横目で見ながら先を急いだ。

小高い山といっても、ロクなものも食っていないし、睡眠不足(昨晩の暴走族の爆音)の身体ではシンドイ。 チョット悔しかったが金髪の観光客に抜かされながら、頂上に立つ(標高2345m)。天候も良く、美しい山並みをみられたことは本当に運が良かったと思った。

10分程で寒くなってきたので、昨日乗り換えたクライネシャイディック駅へ散歩する。ゴンドラ乗り場でハイキング道の地図をもらったのでどの道にするか考えながら歩く。昼食時で散歩している観光客は少なかったが、駅近くのレストランは金髪族でfullであった。 多くの日本人は列車を乗り換えるのに忙しいようで、食事や散歩をする時間がなさそう。もったいない!

駅売店で、スプライトを買って、帰路につく。少し経って道沿いの座る場所を見つけ、昼食を作る。晴天であったがガスコンロの風よけが役に立たないほど風はきつく、お湯を作るのに時間を要したが、フリ−ズドライ料理(ドライカレ−)は出来上った。

おいしい・うまい、だけど寒い。短パンでは寒い。食べ終わる頃には身体が冷えてしまった。

食べ終わると、ゆっくり散歩しながら帰り道を楽しむ。ゴンドラ切符売り場のおばちゃんが言っていたように、私以外に散歩しながら降りている人は見かけなかった。私も途中でバテ気味になった。かなり距離があるので、これから行く人はレンタル自転車で下るのが良いと感じた。

土曜日(5日目)

今日は昨日と反対側のフィルスト草原〜ファウルホルン山へのハイキングを予定する。

ファウルホルン山頂付近(標高2681m)には山小屋レストランがあるとガイドブックにあるので、是非行きたいところ。

キャンプ場から20分くらい歩くとリフト乗り場がある。これを利用してフィルストまでリフトに乗る(13.6Fr)。このリフトは右横向きに乗るため(ふつうは前向き)横の風景がゆっくり見ることがでる。(前方にはグリンデルト氷河が小さく見えるのである。)

リフトを降りると牛のカウベルが聞こえる。遠くで聞くと心地よいが近くだとうるさく感じた。景色を見ながら歩いていると「グニュッ!」と何かを踏んだ。モグラか蛇かと思いきや、なんとホヤホヤの牛糞。足首付近まで"糞まみれ"になってしまった。ただし履いていたのが登山靴だったので、草で拭くだけで事なきを得た。スニ−カでなくてほんとによかった。

ハイキングコ−スは所々にコ−ス標識があり、目的地までの距離と所要時間がわかりやすく表示してある。これとガイドブックがあればハイカ−が十分安全に楽しめるようになっている。

1時間ほど歩くと雲行きが怪しくなってきた。最初は霧だったのが次第に冷たくなり、ついに雪になってしまった。雨具を持参していなかったが防寒着の頭カバ−をかぶり雪をしのぐ。汗が出ないように急いで歩くこと数分。前方に畳2枚くらいの屋根付き休憩所がみえた。近づくと石と木でできた屋根だけのボロ小屋であったが、身体が冷えてきたこともあり、ここで雪がやむのを待つことにした。(畑の手作り小屋のような休憩所であった)

小屋の屋根は木の平板を瓦状に重ねただけなので容赦なく雨漏りはするし、風除けもない。今に始まったことではないが、こんなとき一人でいると本当に心細くなる。雪は降ったりやんだりで、天候の見通しが立たないのでとりあえず、お湯を作り、バナナとお湯で10時のおやつタイムを取った。

しばらくしても天候が回復しないので勇気を出して戻ろうかとも思ったが、「ここはハイキングコ−スだし死ぬことはないだろう、当地へ来るのは2度と無いんだから、行きなさい。」と心の中の悪魔にそそのかされ、山小屋レストランへ足はむかってしまった。

判断ミスとはわかっていても足は登る方向へ向いてしまう。凍えそうになりながら暖かいス−プを飲むことを夢見て登る。3時間ほど登っただろうか、霧の中から突然山小屋が出てきた。時間からいうとこれがレストランかなと思ったが、どう見ても山小屋である。他に建物がないか確認のため周辺を歩くが他にはない。なんとレストランと呼ぶにはほど遠い本当の山小屋であった(後悔した)。ガラス越しに覗くと薄暗い中で登山客が食事をしている。客はすべてヨーロッパ人ばかりだったので、少し気が引けたが、「ここで食べるために登ってきたのだから」と自分に言い聞かせて入った。空いている席に座ったが、アジア人は私だけなので、なんとなく気まずい。周囲のテ−ブルを見ると、山小屋の料理であり、何でここが"レストラン"と呼ばれるのかますます分からなくなった。おばちゃんがメニュ−を持って来ようとしたが、隣席のテ−ブルを指差して「bread & soup」と言うと彼女はニコッ!として引き込んだ。

中が薄暗いので外がハッキリと見える。先ほどのぞき込んでいた私のマヌケ顔も、中からはよく見えたのかと思うと、恥ずかしくなった。

食事を終えても天候は回復していなかった。ユウウツな気持ちでこの「有名なレストラン」を出発する。下りはフィルストと反対側の登り口であるブスアルプ(標高1828m)へ行くことにした。

濃霧のなかをひたすら歩く。標高2000m位まで降りてくると、天候は回復し草原と牛が見えてきた。この頃にはピクニック気分で歩けるようになってきたので楽しくなってきた。

牛小屋をのぞき込んだり、きょろきょろしながら歩いていると、前方からアジア人が歩いてくるではないか。日に焼けた人だったので「東南系かな」と思っていると、彼から「日本人ですか?」と日本語が出てきた。そう、間違いなく彼は日に焼けた日本人であった。彼から「一服、コ−ヒ−でもどうですか」と言われ、彼担当の小屋におじゃますることにした。彼も久しぶりに日本人に会ったらしく、お互いホッとした時間を過ごすことになった。

彼は19才、関東の農業高校(茨城県だったと思う)を卒業し、スイスへ牧畜の研修(1年間)にきているそうで、相当こきつかわれてストレスがたまっていた。彼の話によると向かいの斜面(昨日歩いた場所)にも日本人研修生が一人頑張っているが、その彼は、当初物置小屋で寝泊まりさせらたそうである。何でも研修先の一家に年頃の娘さんがいて、親父が取られまいとして、冷たくしていたらしい。(過去に日本人が研修先の娘さんと結婚したことがあるらしい(彼曰く「有名な話ですよ」)。スイス人も日本人と同様、国際結婚に対して否定的な人が多いらしい。)

彼は私がブスアルプまでバスで来て散歩していたと思っていたらしく、フィルストから散歩してきたことを説明すると、「ブスアルプにバスで来る日本人でも珍しいのに、フィルストから歩いてきた日本人なんて初めて聞いた」と重宝がられた。ブスアルプはロ−カルなハイキングコ−スでヨーロッパ人がたまに来る程度らしい。

彼がスイス人の差別に、くたばりかけていたので、私はこんな話をした。「年輩の人が『若いときの苦労は買ってでもしろ』というが、おれは間違いだと思う。苦労する人は多くの場合、一生苦労して年をとっていく。買わなくても苦労は来るし、一部の人を除いてはみんなそうだと思うよ。

ただ、お笑い芸、美しい景色を見て感動する、いやなことに耐えるなどは、一度大きなモノを経験した後は、それ以下のことについては、あまりおかしくない、感動しない、簡単に耐えられる。

だから今の貴方は差別や生活習慣の違いで「なんで、こんな目に合わなきゃいけないんだ」と思っているけど、これに耐えたら、日本に帰ってからの「苦労」については同年代の人より数段耐えられる大人になっていると思う。同年代の人が悩んで、もがいているときでも、貴方は少し悩むだけで出口を見つけられる人になっている。若いときに買って経験するんじゃなくて、どれくらい喜び・怒り・苦しみが経験できたか、「経験のチャンスがあったか」っていうことが、十年後の自分を作る。

俺は死ぬ前に「俺の人生まあまあよかったな」と思いたいので、いやなことがあったら「死ぬ前に、このいやなことから逃げなかったことを後悔するかな」と考えることにしている。そして「後悔する」と思ったら逃げるが、今まで逃げたことが1回だけあった。…・・などなど。

とりあえず、彼は久しぶりに日本語が話せたので、ストレスが無くなったようである。

コ−ヒ−の他、パン、チ−ズ、バタ−までごちそうになり、グリンデルワルトへ帰ることにする。

歩いて帰ろうとしたが、彼によると半日以上かかるらしく普通はバスを利用するとのこと。彼からバスの利用方法を教えてもらったが、いまいち料金支払いシステムが理解できない。また、運転手の中には日本人とみるや過大な料金をドイツ語の早口で要求し、ポケットマネ−にすることがたびたびあるとか。彼も来た当初はやられてしまったらしい。ここまで話すと彼が「ぼくもグリンデルワルトのス−パに買い物に行くので、一緒にバスに乗りますよ、回数券も差し上げますから」と言ってくれた。(ありがたい)

バスに揺られて数十分、グリンデルワルト駅に着いた。私たち2人が降りようとしたとき、彼の話は本当だとわかった。他の客は同じ回数券で降りていくが、私たち日本人の時は運転手がドイツ語でまくしたて「この回数券では料 金不足だ!」と怒鳴っている。彼がドイツ語で応戦すると運転手はキョトンとして黙ってしまった。

シ−ズン中は町の人口の6割くらいがウルサイ日本人観光客で占められるので、運転手(地元民)の日本人に対する気持ちも理解できるが、ボッタクリは良くない。まして私は貧乏旅行中(服装を見ればわかるだろう)、彼には感謝の言葉を述べて別れた。(今、彼の所在は分からない。どこかで牧畜をしていると思う)

日曜日(6日目)

今日はグリンデルワルトからツェルマットへの移動日。

朝から晴天、移動日には少しもったいない気もするが、マッタ−ホルンを見たいので電車に乗り込む(7時50分頃出発)。何時間かかるか解らないが全国レ−ル地図では1日あればいけそうな距離である。(地図ではGrindelwald→ Spiez→Brig→Zermattの鉄道経路)

Spiez駅で下車。駅員にBrig行きの電車時刻を教えてもらうと約1時間30分待ちであった。ここSpiezは湖があって、わりと雰囲気のいい場所である。湖畔を散歩して時間をつぶす。駅に帰りトイレ(大)に入ろうとすると、なんと有料であった。ここは中に入って鍵をかけるためにお金が必要であって、ドアから便座までは1m以上ありコインを入れて施錠しないとドアは自然に開いて しまう(うまく作ったものだ)。 ただし、内開きのドアだったので便座に座り、足とドアの間にザックを置いて外から開けられないようにして、用を足すことができた。

乗り継ぎ電車に乗ってアルプスの車窓を楽しむが、地図の駅名と実際の駅名との確認は欠かさない。電車は全国地図にない小さな駅にも止まっていくが、駅周辺には無名のキャンプ場や避暑施設が至る所にあって、多くの人がバカンスを楽しんでいた。

なんだかんだでBrig駅着。ここに来るとZermattへ行く観光客がたくさんいて、なんだかホッとした。ここまで来ればあとは集団についていくのみ。

夕方、ツェルマット駅着。Zermat駅改札を出て左に曲がり400m程歩くとキャンプ場がある。

ここの受付で2泊の申し込みをしてお金を払う(いくらだったか忘れた)。キャンプ場は町外れの広場のようなところで、森の中という雰囲気は全くなし。私以外の日本人は、山を見に来た34才の独身男性が一人、マッタ−ホルンへ登る男性2人組のみであった。2人組のうち一人は浜松付近で溶接をしているおじさん(金がたまれば、仕事を休んで山に登ってきたような人生。もちろん独身。今回でマッタ−ホルンは2回目らしい。山は体力的にきつくなってきたので、これを最後に海遊びへ転向する。)。もう一人は塗装をしている沖縄出身の、お兄ちゃん(マッタ−ホルンに登るために2年ほど練習してきたらしい)。妙に気が合った人々だった。

ここツェルマットはグリンデルワルトに比べると狭いが、いかにもアルペン大好き人間のたまり場所という田舎町である。

月曜日(7日目)

今日は電車でゴルナグラ−ドへ登り、下りをハイキングする予定(ガイドブックにある代表的なコ−ス)。

朝一番(とはいっても、7時30分頃)の電車を待つ。当初並んでいたのは数人だったが、出発の10分前に、またもや団体客が津波のようにやってきて、静かだった駅は様変わりしてしまった(日本人は2割程度)。

満員電車に揺られて(私は座れた)終点着。写真を撮って、トイレを済ませ、辺りを散歩した後、ハイキングに出発。

途中、有名な湖の側を通ったがガイドブックに書いてあるほど綺麗ではなくガックリきた。半分ほどの広さの無名の水たまりの方が綺麗に思えたのは私だけではないだろう。

4時間も歩くとノドは渇くし、オシッコもしたくなる。しかし、このハイキングコ−スは人は多く隠れる場所もなくチャンスが無かった。なだらかな下り坂にさしかかった頃、右の岩斜面から清水(幅約30cm)が流れ出てきている。「この湧き水を飲んだら気持ちいいだろうな」と思ったと同時に、「先ずはオシッコからだ」と本能が行動を起こした。この辺りで隠れられるのは清水の流れてくる方向しかなく、足は自然とそちらへ向かった(距離約20m)。だがここで風景は一変したのである。なんと人糞とティッシュが数多く散在しており、これが有名なハイキングコ−ス?と疑問に思ってしまった。しかし私も生理現象には勝てず、この清らかな場所でオシッコをしたのである。よく考えてみれば、涼しい場所で散歩して5〜6時間もトイレに行かないのは人間として無理がある。こんな人通りの多いハイキングコ−スでトイレを設置しないのはいかがなものかと感じた。清水沿いに注意しながら道へ戻ると、白人のおじちゃんが水を飲もうとしていたので「デンジャレスウォ−タ!」と思わず叫んでしまった。

 ゆっくりゆっくり歩いて、キャンプ場にもどると夕方4時頃になっていた。

火曜日(8日目)

今日はチュ−リッヒへの移動日。 電車の中でマッタ−ホルンに登頂したおじちゃんと兄ちゃんに会った。登った話を聞いていると、うらやましくなってきた。「私も登りたいな!」

彼らはBrigで買い物をするとか、私は駅から出ないで乗り継ぎ電車に乗る。チュ−リッヒ駅着。"先ずは帰便のリコンファ−ム(予約再確認)を"と公衆電話で大韓航空OFFICEへTEL。

すると「個人旅行の人は事務所まで来てもらわないとリコンファ−ムできない」とのこと。道順をメモして30分ほど歩き、事務所で手続き。コ−ヒ−をいただいていると、他の個人旅行者が駅から電話をしてきた。彼らも事務所で手続きをしなければならず、OFFICEのお姉ちゃんが私に「ここまでの道順を教えてあげて。」というので、臨時職員になったつもりで教えてあげた。誰が来るのかなと思い、しばらく事務所にいると来たのはマッタ−ホルンに登頂したおじちゃんと兄ちゃんであった。話もはずみ、今日は彼らとともにホテルを探すことにした。駅改札左側の観光案内所(日本語O.K)にて宿を紹介してもらう。私たちの前に並んでいたお姉ちゃんは、1万5千円くらいのホテルを紹介されていたので費用が心配だったが、案内所の人に「安いとこ」とお願いしたら1部屋で1万4千円を紹介してもらった。このホテルは中央郵便局裏手の木造4階建で、私たちの部屋は天井が斜め。そう、屋根裏部屋(10畳くらい)であった。部屋はベッドが5つ、トイレ・シャワ−付きでいうことなし。「あと2人いればもっと安く泊まれたのに」と彼らと悔しがった。でも、クロ−テン空港横の丘でキャンプすることを思えば安い買い物である。

ところで、日本ではお盆も終わりみんな出勤している時間である。会社に有給休暇の申請電話をしないと給料にひびいてくる。電話代がもったいないからコレクトコ−ルで会社へ電話し、係長にお願いした。「今、スイスに居るんですけど、あと3日ぐらいで日本に帰れます。それまで有給おねがいしま〜す。」 係長があっけにとられて、反論できないうちに電話を切り、夕食とした。


水曜日(9日目)
空港で成田行きに搭乗するマッタ−ホルン2人組を見送り、私は南回りの長いゆううつな便に乗る。今回の旅行は、天候に恵まれた方なのでbetterと考えることにした。

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<レポーター紹介>

田中 慎二
1962年生まれ
現在、実家で母、妻、娘(2人)と暮らす幸せな毎日です。



ボランティア・スタッフの田中 慎二さんのレポート、いかがでした。
不安いっぱいでスタートしたスイス一人旅のようでしたが、積極的にチャレンジしている様子がレポートからもあふれています。一人旅にはいろいろなハプニングがつきものですが、その出来事の一つ一つがかけがえのない思い出となるはずです。アウトドア派の私たちの旅は、やっぱり田中さんの旅のようでなくっちゃね。
                                    アウトドアオンライン編集部より      




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