スイス アルプスの旅


本場アルプスでキャンプをやってみよう!


田中 慎二




アルプスを見たい。
ハイキングをしたい。
ジグソ−パズルにある風景の中で、
キャンプをしてみたい。
ならば、スイスである。
でもスイスとはどんな国?
私はほとんど知らなかった。
私の知っていることは次のようなものであった。

  1. ヨーロッパには"アイガー"、"マッターホルン"、"モンブラン"という、有名な山がある。スイスにはどれかあるだろう。
  2. "中立国"という別の国名を持っている。
  3. ヨーロッパのどこかにある。
  4. 外国人でも預金でき、本人でないと引き出せない。本人が死んだら、お金をネコババできるシステムを作った国。(間違っていたらごめんなさい)
  5. "アルプスの少女ハイジ"や"フランダースの犬"がスイス。
  6. スキーのできる人が多いだろう。



この程度の見識で旅行するのは失礼かと思い、本屋にてガイドブックを見るが、キャンプ場について詳しく記述されいるものはなかなか見つからない。

たくさん見るのも面倒になり、もっとも薄いガイドブックを購入して、知識を増やすことにした。読んでみるものである。旅行に必要な情報は十分書いてあった。
  1. 「アイガーの麓はグリンデルワルト村、マッターホルンの麓がツェルマット村」
  2. 「モンブランは別の国」
  3. 「ツェルマットは自動車禁止区域」
  4. 「電車の周遊券(スイスホリデーパス)が安価で便利」とある。
  5. 「グリンデルワルトもツェルマット」も駅の近くにキャンプ場がある。
  6. 「お金はスイスフランで現地交換」
  7. 「英語が通じる」

こんなにわかって、人間が生活している場所へ旅行するなら、何の心配もいらない。あとは航空券のみである。7月上旬に旅行会社へ問い合わせたところ「お盆は大韓航空の南回り便のみ空席あり」であった。もちろん電車の周遊券(swiss holiday card)とともに購入した。

今回の予定は次のようにした。

大阪空港→金浦空港(ソウル)→スイス着→
鉄道でグリンデルワルトへ行く→
アイガーを見ながらハイキング(3日間)→
鉄道でツェルマットへ行く→
マッターホルンを見ながらハイキング(2日間)→
鉄道で空港付近に行き一泊→スイス発





火曜日(出発日)

出発当日、曇り空を見ながら東淀川駅付近に駐車。電車に乗り換え大阪空港着。「上空へ行けば雲は関係ないや」と思いながら一路ソウルへ飛んだが思いの外、揺れた。

隣席の方が偶然にもスイスへ行く同郷の先生(男性)であり、しばし懇談する。トランジットでスイス行きに搭乗すると、この先生がまたもや隣席であった。先生とのオシャベリは先ほど済ませたので、早速反対側の女性と日本語初級会話をはじめた。彼女(荒木嬢)は大学生でペンフレンドに会いに行くらしい。この娘がカワイイかったので帰りの便を聞くと、北回りとのこと。残念!(南回りは時間を要するので帰りは北回りにしたという説明)

我らが座席は最後尾65番の中央、メンバ−は先生、学生の荒木さん、柔道が得意な旦那が痛風になったとかで看病に行く池田の猪熊(いのくま)さん、そして私。

乗って初めて知ったのだが、この便は中東のバ−レ−ン、ジェッダ経由でスイス着だそうな。頭の中で地球儀を回すと、相当遠回りで時間も約25時間かかることが分かった。

どうでもいいが相当揺れる、胃がオウカク膜を激しく揺さぶる。ジェットコ−スタ−並みの揺れに1時間程遭遇し、みんなグッタリしてしまった。こんな経験は札幌〜女満別のYS−11(着陸可能かどうかは別で、取り合えず飛ぶという条件で出発した)以来である。ジェットコ−スタ−が大好きな私であったが、本当にまいってしまった。まもなく機内食が出された。食欲はなかったが、20数時間の飛行に耐えなくてはならないためとりあえず食べた。ところが無理して食べてジェットコ−スタ−に乗ったようなものである。冷や汗とともに、すっぱい液が抽出され、便器と親友になること約20分。他の乗客に迷惑をかけてしまった。やはり食べたくないときはお茶で渇きをいやすくらいが無難である。

あとはされるがまま、十数時間揺られてバ−レ−ン着。韓国人の出張者が降りる。他の乗客も含め、残りの人には疲労感がただよっている。機中で待つこと約1時間。出発のアナウンスとともにジェッダへ向け出発。「もう降りたい、スイスはまだかいな」と本当に思った。

ジェッダ空港では写真撮影禁止のアナウンスが流れたが、機外はただの空港であった。

話すこともなく、耐えるだけの機内から飛び降りたくなった頃、クロ−テン空港(スイス)着。20数時間の監獄から解放された思いがした。

猪熊主婦は旦那の待つ某国へ(確か国際列車だった)。私は先ず1万円をスイスフランに換金。機中、荒木嬢や先生から「地下に駅がある」と教えてもらったので案内標識にそって歩き、切符売り場に着く。私の前に並んでいた日本人のサラリ−マンは流ちょうな英語と住友VISAゴ−ルドカ−ドで切符を買った(うらやましい)。私は周遊券が使えるのだろうか?と思いつつ周遊券を出すと使用開始日と終了日を記入して返却してもらった。ここから電車に乗れるとわかってホッ!とした。

電車に乗ると、荒木嬢、先生がおられた。少し大きめのシ−トに異国を感じチュ−リッヒ駅に着く。荒木嬢と先生は下調べがバッチリであるため、「じゃあね!」と言って乗り次ぎ電車へ素早く移動していった。下調べをしていない私が目的の場所へ無事到着できるのか、彼らは心配していてくれたが、そのとおりである。彼ら以上に私は心配でたまらなく、不安で頭がパニック状態である。私は取り残されてしまった感がし、とても寂しくなった。しかし、こんなところで落ち込んではいけない。「何時間何日かかってもアイガ−を見るためにグリンデルワルト村へ行くのだ!」と自分を奮い立たせ、ガイドブックの地図で鉄道経路を調べる。ベルン(Bern英語発音はベ−ン)経由でインタ−ラ−ケンへ行く線が太く印刷してあり、速そうに見えたので、この経路に決定。駅員にどの電車か教えてもらう。連結されている自転車専用の貨車をながめ2等車に乗り込む。再度乗客に目的地に行くか確認し、ようやく緊張の糸がゆるんできた。1等車は見ていないが、移動するには2等車で十分だと感じた。チュ−リッヒ駅を出発する頃には少しずつ平常心を取り戻しはじめた。

ところで、機中ではビスケットとジュ−スと水で生きていたので体が心配である。非常食として持っていたカロリ−メイトをおもむろに出し、食べ始めると、向い席のご婦人がカロリ−メイトをジロジロ見る。アジア人は何を食べて いるのだろうか? 興味津々といったところであろう。

出発してまもなく、後方から車内販売が来た。車内販売があるような車両ではなかったため突然のことと感じ、また販売員が中年男性であったことも大きな要因であるが、英語が積極的に思いつかず、食料調達はできなかった。悔しがると向かいのオバチャンが喜びそうなので表面には出さず、次回のチャンスを待つことにした。

車窓の牧歌的風景を眺めていると再び食料がやってきた。「サンドイッチと牛乳」を英語で言いたかったが、サンドイッチの英語が思いつかない。「Milk and 〜」と言いながら、サンドイッチの付近を指さし、お願いするような目で販売員をみると相手も理解してくれた。約30時間ぶりの食料である。スイスのパンはパサパサでマズイと聞いていたがそうでもなかった。(アメリカの麦つぶ入りパンの方が私の口に合わない。)

「インタ−ラ−ケン駅でグリンデルワルト行きに乗り換え」とガイドブックにあるが、インタ−ラ−ケンは東駅と西駅があり、どちらの駅のことか書いてない。(本当にガイドブックにはよくだまされる) 乗客に聞き、**駅だとわかったのは駅に着いたあとだった。(どちらの駅であったか忘れました) 乗り換えて、目的のグリンデルワルト村に到着。(標高1034m)改札を出て左にまがると日本人向けの観光案内所があった。村の地図をもらいキャンプ場を教えてもらった。日本人の多いキャンプ場は2番目に近い場所であったが、疲れていたし、買い物に便利な最も近いキャンプ場に行った。

改札右横の坂道を下っていくとキャンプ受付があり、申込書に記入して24Fr(フラン)/4日を払う。ヴィジタ−カ−ドをもらったが何に使うのかわからないので聞くと、「村のプ−ルや図書館を利用する時に割引になる」と教えてくれた。テント場の手前はボ−イスカウト等の集団が多かったので奥の方 (ファミリ−向き)にテントを張る。隣はオ−ストリアの学生カップル、向かいはフランスの親子であった。


このキャンプ場はアイガ−北壁の麓にあり、森の中で雰囲気は良いのだが、湿度が高く、ナメクジ(太くて10cmくらいの長さ)が多いところだと分かるまでに時間は必要なかった。

日本人が多いキャンプ場を見に行くと運動場のような広々とした場所であったが、買い物にはやや不便な位置である。しかし湿度が低くキャンプをする人にはお勧めの場所である。

ガスボンベと食料を買いに行く、食料は村のス−パ−でOK、ボンベは村の登山店で・・のつもりが、持っていたガス金具に合うボンベが無い。日本から持参したのはキャンピングガス(メ−カ名)のワンタッチ式ボンベ用ガス金具。村にあるのは、ねじ込み式のボンベと金具のみ。「そんな馬鹿な、ス−パ−で買った米やス−プはどうするんだ」、「余分な金なんか持ってきてないよ」と心で叫び、ガックリしてテントに帰った。ろうそくの炎でお湯を作ろうとするが、1時間たってもぬるま湯にしかならない、鍋底にススが付くのみで、とても悲しくなってきたのであきらめた。夕食は牛乳とバナナとパン。暖かいス−プもなく寂しい時が流れた。

日も暮れ、寒くなってきた。コイン2枚でシャワ−を浴び、購入した食器用スポンジでコップを洗う。しかし、この食器用スポンジは最悪! 白い固まりがこびりつき、取れない(経験された人も多いと思います)。隣で洗っているアメリカ人も苦労している。やはり普通のスポンジと石鹸が洗浄効果大である。先ずアメリカ人に、我が輩の身体を洗った石鹸を貸して効果を確認し、感謝の言葉をいただき、次に自分のコップを洗った。

テントへ戻ると、あとは寝るだけ。 だけど寒い、夏用の寝袋を持ってきたのが間違いであった。チュ−リッヒの銀杏の葉が黄色くなっていたので不安はあったが、夜になって現実のものとなるとキビシイものである。防寒着と合羽を着てザックの中に脚を突っ込んだが、それでも震えは止まらない。 ここはアイガ−北壁のふもとである、寒さに震え少し寝ては起きる、寂しくて、つらくて長い夜を過ごした。

水曜日(2日目)

朝の太陽光線がテントの中に降り注ぐ。光線は暖かく、生きる希望を私に与えてくれた。

冷えた牛乳とパンで朝食を済まし、体温が上がるのを待って、食料難と寒さの対策を考える。結論は「いくら考えても衣類を買う金は出てこない。せめて食い物だけでも暖かいものが欲しい」となった。とりあえず、ワンタッチ式ボンベを探すことにして、インタ−ラ−ケンへ戻ることにする。

インタ−ラ−ケンへの電車の中、高校くらいの女の子達がしゃべっているが、おしゃべりが止まらない。「こっちは疲れているんだから静かにしてね」と言いたいが、嫌われてもしょうがない。黙ってノイズを聞いていた。

インタ−ラ−ケン着。"この町ならあるだろう"と希望を胸に登山用品店でワンタッチボンベを探すが無い、店員にワンタッチ式ボンベの写真を見せると、「 sorry. I have never seen・…」の返事。
「なんでやねん、俺の金具の箱には "international" と書いてあるし、中の説明書も5カ国語くらいで書いてあったのに、なんでないんや〜!」

「山を下りてきた時間をどうしてくれるんや!」

「キャンピングガスの馬鹿野郎!」…。などと叫んでもしょうがない。

結局、ねじ込み式の金具とボンベを買うことになった。私にとっては予定外の支出であったが「今晩から暖かいス−プ、ミルクが食べられる」と思うと正直ホッとした。金がないので昼食抜きでグリンデルワルトまで戻る。

いつものようにス−パで買い物を済ませて道に出ると、ツア−観光バスが到着したところであった。中から出てきたのは日本人中年男性ばかり。他国のツア−は男女混合なのに、なんだこれは?すごく異様に見えたのは私だけではなかった。他の観光客も唖然としていた。中年男性たちは「こんな良いところは家族で来んとな〜」と言っていたが、そんな風景の場所であるからこそ、日本人の中年男性が集団でバスから降りてくる風景は異様である。

夕刻:約60時間ぶりに"暖かいス−プ付きの食事"を迎え、食べられることの幸せをかみしめ、スマイルが自然に出てきた。凍えそうな寒い夜も、明日からハイキングができるんだなと思うと何とか耐えられるものである。

木曜日(3日目)



アイガーヴァント駅の
展望窓からの眺め


アイガーヴァント駅(2865m)
登山電車
昨日と同様に体温が上がるのを待って行動開始。待望の観光・ハイキングの日となった。

朝2番目のグルント発クライネシャイディック行きの電車に乗る(始発に間に合わなかった)。出費13.6Fr。朝2番(AM6:50頃)の電車なので車内は10人程度。時はゆっくりと流れている。

クライネシャイディックで乗り換えであるが、それらしい電車が見あたらない。こういう時は制服を着たおじさんに聞くのが定番。おじさんに教えてもらい車内で客に再度確認する。

座っているとビ−ル腹のおじさんが「May I sit down?」といって斜め向かいの座席を指さす。「Yes, プリ−(ズ)」まで答えると座ってしまった。「Ha---,it's early morning. Are you going to summit? 朝早いね、登山か?」と聞かれ「No,…woo…――sightseeing 観光だよ」などど話していると、出発となった。

バナナの朝食を食べているとまもなくアイガ−グレッシャ−駅に着いた。時間があればここで降りて散歩し、次の電車で登るのも良いと思う。アイガ−グレッシャ−駅を出るとトンネルに入る。ここから終点までは長〜いトンネルである。トンネルの途中にアイガ−ヴァント駅とアイスメ−ア駅があり、停車時間に降りて外の写真くらいは撮影できる。ただし、いつ出発するか分からないので出発のベルが聞こえる場所にいよう。

約30分で標高3454mのユングフラウヨッホ駅に着く、駅の看板で記念撮影のあと、外へ出る。雪化粧した山並みとアレッチ氷河を観ながら、いろんなことを思いふける。雪原には観光客目当てのスキ−もあったが、日本の新婚さんが滑るのを見て、一人で滑るのも悲しいなと思ったのでやめた(雪原散歩は防水靴が必要)。

レストランの開店まで約1時間あるので登山者の背中を眺めたり、彫刻を見たりしてゆっくり散歩する。レストランは開店と同時に入るが、朝イチのため室温は低くまるで準備中のようであった。とりあえずジュ−スだけ注文して持参した昼食用のパンをかじる。他の客は料理が出てくるのが遅いので、いらついているように見受けられた。(40分後位にようやく一人目の注文が出てきた)

ゆっくり座れるのはレストランくらいなのであるが、このころには観光客がドド−ン!と押し寄せてくる。しかも極めてウルサイ日本人の団体が半数以上ときたもんだ。くつろげず、朝の静けさも無くなったのでクライネシャイディックまで帰ることにした。

この時刻の登り電車は通勤電車のように"full"であるが、帰りは朝一の電車と同じくらい空いている。「観光地は早く来るか、遅く来るか、どちらかが良い」と心に思いながらゆったりと観光できた喜びにひたった。


クライネシャイディック駅に着くと朝の静けさとは異なり、人人々々・・。ひとの洪水である。朝はホッタテ小屋であったところが、立派な売店になっていた。覗くと日本ではマイナ−になってしまったファンタオレンジが正面に堂々とあるではないか。日本のものと味比べをしたくなり購入したが、やはり味は同じであった。(話は変わるが、東京駅新幹線ホ−ムで売っている「キリン1番しぼり」は何度買ってもマズイ! 地元で買う「1番しぼり」はうまいのだが…。 どなたかこの謎を教えてくれませんか?)


グルント行きの電車に揺られながらファンタを飲み、明日のハイキングコ−スを考える。

キャンプ場に帰るとフランス人親子がいなくなり、かわりにオランダ人親子が 向かいにテントを張っていた。オランダおじさんはニコニコして話しかけてきてくれたので、こちらも調子に乗っていろんな事を話した。「オランダはいろんな国に占領されてきたので、オランダ人はオランダ語以外に2〜3ヶ国語OK」と言っていたのが印象に残っている。

夕食後、昨日と同じ寂しくて寒い夜を過ごす。


アイスメーア駅(3160m)
展望窓からの眺め


ヨッホ駅
セルフレストランからアレッチ氷河を見る

パート2(第4日目〜8日目):本格的にトレッキング開始





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