賀田の里は、入江にある半農半漁の小さな
集落である。西に前山があり、その向こうに
後山、高代山と続いている。この高代山にあ
る洞穴に伯爵達が身を隠していたのであるが
、ガルソウの反乱により後山に逃げのびた。
しかし、悪鬼と化したガルソウに襲われ、伯
爵夫妻は命を落としたのである。そして、彼
らの赤ん坊は木のゆりかごごと川を流れてい
った。この時、伯爵夫妻に従っていたダグと
バードは、食料の調達に出かけていて、ガル
ソウの悪逆を阻止できなかった。ガルソウが
伯爵を撃った鉄砲の音を聞きすぐに戻ったが
、間に合わなかった。しかし、彼らが駆けつ
けた時、伯爵夫人はまだ生きていた。もっと
も、ガルソウの非道と赤ん坊の安否のことを
口にすると、すぐに息が絶えてしまった。
ダグとバードは、伯爵夫妻を手厚く葬り、
その後も後山の洞穴に二人で暮らした。そこ
は森が深く、里の衆に見つかることはなかっ
た。そして、いつしか五年の歳月が過ぎ、こ
の隠れ家生活にも随分慣れたが飽きもした。
首狩族の戦争を見ることもあったが、それ以
外に見かけるここの人々の暮らしは、いたっ
て平和でのどかに思えた。ひょっとして自分
達を受け入れてもらえるんじゃないかという
期待も湧いてきた。もし彼らとうまく接触で
きれば、自分達がどこの国に流れ着いたのか
が分かるし、英国に帰る手段を見いだせるか
もしれない。ダグとバードは故郷を懐かしみ
、人恋しくなっていた。
「なんとか、あそこの首狩族の農民と話がで
きねえもんかな」
ダグは、卵をとじたスープを食べながら、独
り言を言うように呟いた。このところよくこ
ういったことを口にするようになっている。
「毎日毎日、おんなじことばかり言ってるな
、ダグ。奴らの言葉は皆目分からんし、第一
俺達の顔を見たら、悪魔か何かにでも出会っ
たように奴らすっとんで逃げ出すじゃねえか
。村に二人でのりこんだら、みんな逃げ出す
か、奴らの兵隊が来て、こっちが首にされち
まうかだ」
「そんなこたあ、わかってる。だけど、なん
か方法があるはずだ。お前もちっとは考えろ
」
「もう考えてあるさ。きっとうまくいく方
法をな」
「何で今まで黙ってやがったんだ。で、どう
するんだ」
ダグはバードの青光りする腕をぎゅっとつか
んで催促した。
「俺達の内一人が、奴らに悪さをする。脅か
すだけで充分だけどな。そこにもう一人が現
われ、悪者をやっつけて、首狩族の農民を助
けるって寸法だ。奴らだって助けてくれた者
には恩義ってものを感じるだろ。きっと村に
も住まわしてくれるし、そのうちに言葉だっ
て覚えられる。そしたら、悪者役になった方
を村に呼べるし、うまくいきゃ、国にも帰れ
る。どうだ、ダグ。いい計画だろう」
「そりゃいい。俺は賛成だ。さっそくやろう
」
「だけど、問題はどっちが助け役をやるか
だ。うまくいって村に入りこめたって、何が
起こるか分からねえ。農民だって、首狩族に
はちげえねえからな。やっぱし、言い出しっ
ぺの俺がやるか」
「いや、バード。それじゃ、俺が臆病者みて
えじゃないか。俺たちゃ、ここまでずっとう
まくやってきた。俺は今まで、黒人のお前を
一度だって奴隷扱いしたこたあなかったはず
だ。お前は一番の相棒だからよ。お前が考え
てくれたんだから、やるのは俺の仕事だ」
「分かったよ、ダグ。そんなら、神様に聞い
てみるとするか。表が出たらあんたが助け役
、裏なら俺だ」
バードはコインを放り投げて、左手の甲で受
けた。表と出た。
「そらみろ。俺の方がずっと品のいい顔して
るからな。悪役はやっぱりお前だ」
ダグは白人だが、全身赤銅色をした根っから
の船乗りで、伯爵の給仕をしていたバードの
ほうが文化的で品もあった。しかし、神の意
志により、ダグが一か八かの危険で難しい役
を買って出ることになった。一方、悪役の方
はといえば、どちらがやるにしても簡単であ
ったろう。二人とも身の丈六尺半(約二メー
トル)はある巨体で、当時の日本人にしてみ
れば、ダグとバードはまさに赤鬼、青鬼以外
のなにものでもなかった。
次の日から、さっそく悪役のバードが里の
近くに出没し、人々を襲い始めた。とはいっ
ても、けっして危害を加えることはない。せ
いぜい食物を奪う程度であった。青鬼の恐怖
に里の人々が震え上がるのを見計らって、作
戦の実行のため彼らがターゲットに選んだの
は、子連れで山にいちじくを採りにきた若夫
婦だった。賀田の里の西にある前山で起きた
大事件である。
前山の裾野にある木々で囲まれた草地をそ
の家族が横切ろうとしていた。鳥が甲高い鳴
声をあげ、枝から飛び上がった瞬間、彼らの
前を黒山が遮った。耳をつんざかんばかりの
咆哮とその山のような青鬼の突然の出現に若
夫婦は腰を抜かし、二人の子供はただ泣きわ
めくのみであった。そして、ついに青鬼が幼
い方の男の子を抱き上げ、今にも頭からかぶ
りつこうとした瞬間、何ものかにその子を奪
い取られた。赤鬼の仕業である。青鬼と赤鬼
とが、人の子の争奪戦を地を揺るがさんばか
りに繰り広げている。両親の目から見れば、
人肉を取り合う鬼どもの血に狂った争いにし
か見えなかった。鬼の戦いは、後から現われ
た赤鬼の勝ちに終わった。しかし、この家族
にとって、そんなことは全く意味がなかった
。青鬼に食われようと赤鬼に食われようと、
その運命に何の違いがあるというのだ。もう
だめだと、みんな観念した。ところが、どう
したことか、赤鬼が男の子を母親に女の子を
父親に返してあげた。何が起こっているのか
のみこめないでいる若夫婦にも、この赤鬼に
自分達を害するつもりがないことだけは感じ
とれた。唖然と見上げる女房と夫は、赤鬼に
起こしてもらい、着物に付いた土まで払い落
としてもらった。そして、何を思ったのか、
赤鬼は跪き地面に額を擦り付けるようにして
何かを願うのだった。この赤鬼の様子をみて
、若夫婦はなんだかかわいそうに思えてきた
。もう随分落ち着いてもきていたし、鬼に危
害を被るおそれもないのが分かっていたせい
もあり、じっくりとその赤鬼を見ることがで
きた。よく見ると、あんなに恐ろしげに見え
た鬼の顔も、なかなか愛嬌のある誠実そうな
顔に見えてきた。まだ恐る恐るではあったが
、夫は赤鬼の手を取り立たせた。子供達もど
うしたわけか泣き止み、この赤鬼に興味さえ
示していた。赤鬼がおもしろい顔をすると、
子供達がけらけら笑いだした。若夫婦も赤鬼
も笑った。その様子を陰で覗き見ていた青鬼
も一人で笑った。どうやら作戦の第一段階は
成功したようである。
一家は赤鬼を連れて賀田の里に帰った。も
ちろん蜂の巣を突っ突いたような大騒動とな
ったが、長を中心に話し合った結果、即刻領
主にこの赤鬼の件は報告された。桃太郎が領
主の養子になっていたこともあり、下役人を
通さず、重臣の中村様に直接報告することが
できた。つまり、桃太郎の守役、猿にである
。猿は領主忠安と密談のうえ、赤鬼の処遇を
行なうため、すぐに賀田の里に向け出立した
。桃太郎には、この鬼事件は何も告げらなか
ったし、当分の間、賀田の里から遠ざけられ
もした。
長の家で初めて赤鬼を見た猿は確信した。
五年前に捕り逃した南蛮人の一人に違いない
。猿のつかんでいる情報では、南蛮人同士で
争いがあり、十二人が古座領の大島に逃げ、
残りの四人が行方不明となっていた。そして
、死体を一つ発見している。この赤鬼がどち
らの仲間に属しているのか、又どこの国から
来たのかを確かめたかったが、赤鬼は全く言
葉を解しなかった。頭を低くして、南蛮語で
何やら願い事を訴えるだけであった。赤鬼は
かつて出会った里人達の哀願する様子をその
まま真似ているのである。大きな体に似合わ
ないこの仕草が滑稽であり、いじらしくもあ
った。
猿は赤鬼を城下には連れていかなかった。
長に世話を任せ、早く言葉を覚えさせるよう
に指示した。残りの鬼を釣りだす餌の役目を
赤鬼にさせるつもりであった。もちろん、猿
の配下の者の目が常に賀田の里を監視してい
た。
一方、ダグは猿の姿を見た時、恐怖で青ざ
めた。剣を持った首狩族の兵隊ではないか。
一瞬逃げ出そうと思ったが、ぎりぎりまで我
慢することにした。クリスチャンではあって
も熱心な信者ではない彼が、こんなに真剣に
神に祈りを捧げたことはなかった。結局苦し
い時の神頼みでも役にたったのか、兵隊の隊
長と思しき者も最後は笑い声をあげて帰って
いった。どうやら首にならずに済んだようで
ある。
ダグはこの里にきて以来、長の家で暮らし
ていたが、彼らが持っていた首狩族の先入観
はすっかり払拭されていた。この里の生活は
あまりにも平和で、人々は温厚だった。魚以
外の肉は食わないで僧侶のように穀物やら草
のようなものばかり食べているのに、みんな
働き者ばかりであった。彼もよく働いた。長
の家ばかりでなく、頼まれればどこの家の手
伝いでもした。その巨体が産み出す労働は十
人力で、里の人々からたいそう重宝がられた
。特に子供好きであったダグは、彼らの人気
者で、仕事の合間をみては、子供達と遊んで
いた。言葉を覚えるうえでも、それが随分役
立った。
「赤鬼様、本当の名前はなんていうの」
とある時、鬼ごっこをしていた女の子がダグ
に尋ねた。
「ダグ」
その女の子は、それを聞いてくすくす笑いだ
した。
「赤鬼様の名前は犬だって。変な名前じゃな
」
時々、ダグと子供達は言葉遊びをして、日
本語と英語を教えあっていた。その子には、
ダグという発音がドッグと同じように聞こえ
たのである。そして、知らぬ間に赤鬼はお犬
様と呼ばれるようになった。お犬様、お犬様
とみんなから慕われるようになっておった。
赤鬼も里の人の自分への信頼を感じ、そろそ
ろ青鬼をこの里に迎えてもいい頃ではないか
と考え始めていた。
自分の計画がうまく運んでいることに、バ
ードはダグ以上に安心もし満足もしていた。
しかし、見知らぬ土地でついに一人きりとな
ったことや、相変わらずの不自由この上ない
耐乏生活とあいまって、すっかり孤独になっ
ていた。ダグのことが心配で遠見で様子を窺
うと、里人達となかなか楽しそうにやってい
る。特に子供らと遊んでいるダグは、幸せそ
のものであった。いつになったら自分を里に
呼んでくれるんだろう。一日待ち、二日待ち
、もう何十日も過ぎ去っていた。やっぱり、
奴だって白人だ。黒人の俺の事なんて何にも
気にしちゃいねえ。このまま一生この山ん中
に俺をほっぽらかしておくつもりじゃねえの
か。いや、ひょっとしたら俺のことを首狩族
の兵隊に売って、自分だけいい子になる気か
もしれねえ。白人なんかを信用したこの俺が
ばかだったんだ。困難を共にしたダグとの友
情と、白人であるその友への不信感にバード
は悩んだ。信頼と疑念が、彼の心に波のよう
に寄せては返した。そんな不安定な精神状態
が続き、すっかり落ち込んでしまったバード
は、もう何時間も住みかの洞穴の岩に腰をお
ろしたままでいた。首狩族の地で何年間も生
き延びて培われた身の危険に対する感覚も完
全に麻痺していた。目の前に立っている大き
な人の気配にも、自分の名前が呼ばれるまで
全く気付かなかった。そこには、ダグがいた
。
「ダグ」
そこで言葉が詰まり、後は大きな涙の粒が、
青鬼のこれまた大きな眼からぽたりぽたりと
次々に溢れ出てきた。
「すまん、こんなに長い間、お前をほったら
かしにしちまって。里の人が本当に俺のこと
を信用してくれるまで、待つしかなかったん
だ。最初俺はな、「赤鬼」って呼ばれてたん
だ。お前は「青鬼」だ。つまり、赤い化物と
青い化物ってことよ。みんな俺達のことを随
分恐がっていたということだ。だけど、もう
大丈夫だ。里の人も兵隊の隊長も俺のことを
認めてくれている。里の長の所にお前を連れ
ていっても、きっと受け入れてくれるはずだ
。さあ、暗くならないうちに里に行こう」
彼らは、急いで山を降りていった。途中、
バードはダグを疑ったことを詫びた。それを
聞いて、ダグはバードの肩ををたたきながら
、その陰気なムードを笑いで吹き飛ばした。
陽気な二人に返っていた。里に彼らが戻ると
、またもや大騒ぎとなった。お犬様が、悪党
の青鬼を引っ捕まえてきたという情報は瞬く
間に里中に広がり、長の家は人だかりとなっ
た。見ると、長の前に青鬼が地に額をつけて
平伏しておった。そして、その傍らで赤鬼の
お犬様が、必死に何かを訴えておった。
「長様、これ、俺のともだち。いい人、悪い
人ない。いい人、いい人、ともだち・・・」
里の衆も周りで聞いておったが、お犬様の言
わんとすることは充分理解できた。身振り手
振りのその話によると、里の衆と仲良くなる
ために二人で一芝居を打ったということだっ
た。それで、この青鬼も里に受け入れてほし
いと二人して懇願するのであった。もう赤鬼
が、実は人のいいやさしい鬼で働き者だとい
うことが分かっていたので、里の衆もすぐに
青鬼を受け入れた。ただ、この青鬼の件はす
ぐに領主に報告されたのは言うまでもない。
猿が再び赤鬼、青鬼の取り調べを行ない、赤
鬼と同様、青鬼も長のもとで暮らすこととな
った。
バードは十代の時に奴隷狩りに遭い、それ
以来何度か違う主人に売られた。そのため数
カ国の言葉を話せるようになっていた。日本
語の上達もバードの方がずっとダグより早か
った。そして、バードも最初は青鬼様と呼ば
れていたが、ある日、本当の名前があるのか
と聞かれた。畑仕事の合間に休憩をとるため
、何人かで畦道に腰を降ろしていた時である
。ちょうどその時、何に驚いたのか草叢から
一羽の雉が飛び立った。青鬼は、その鳥を指
差した。それから、青鬼はお雉様と呼ばれる
こととなった。
第 8 章 犬、雉、桃太郎の家来となる 賀田の里で、桃太郎は犬と雉に再会して家来とする。
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